武術における強さの比較
空手と柔道はどちらが強いか、中国拳法は本当に実戦に向かないのか。このような問いは格闘技マニアの間でよく議論されるところですが、「どんな局面での強さか」を考えないと、意味のない議論になります。
山田英司氏は、著書「武術の構造」の中で、武術や格闘技を比較するとき、想定される局面と技術の2軸を考える必要がある、と述べています。局面とは、想定される状況のことで、例えば道場でひとりと戦う場合、 街中で多人数の不良と戦う場合、相手がナイフを持っている場合等があります。技術は、突き蹴り、投げ技、関節技、武器技など、局面に対処する手段のことです。
局面として一対一、対多人数、対武器、対武器多人数、技術として、打、投、極、武器の4x4のマトリクスを作ってみましょう。例えばフルコンタクト空手の「試合」は、一対一・打の単局面単技術に分類され、柔道は一対一・投に分類されます。流行りの総合格闘技は、一対一の単局面多技術型の武術といえるでしょう。合気道や伝統空手、太極拳などは、多人数や対武器も想定しているため、多局面多技術型の武術と解釈できます。
一対一の局面を想定した武術と、対多人数を想定した武術の強さを比較する意味はどこにあるのでしょうか?想定される局面や技術が異なる武術同士の強弱を論ずるときの違和感はここにあります。極端に言えばサッカーとラグビーはどちらが強いかを議論するのようなものです。想定する局面が違えば技術発展の方向性も違ってきます。例えばボクシングの顔をガードするポジションは、ローキックが飛んでくることを想定していませんし、対多人数を想定する武術では、総合格闘技にあるような寝技はそもそも選択肢に入りません。組み合っている間に別の敵に攻撃されてしまうため、そもそも「倒されない」ことを前提にしているからです。つまり対多人数の局面を想定している武術では、倒される=負け、を意味するのです。
合気道が、常に体軸・中心軸を立てて自然体を求めるのは、対多人数を想定していることが理由のひとつです。背後から襲いかかる敵を察知するためには、自然体で視野を広く持ち、絶えず六方に意識を向ける必要があります。合気道に蹴り技が無いのも、態勢が不安定になることを避けるという意図があります。
武術の試合化を考えると、どうしても「単局面」を想定せざるを得ず、それ以外の局面における技術の発展を阻害する可能性があります。合気道に試合が無いのは、合気道のもつ和の精神に起因する部分もありますが、このような理由もあるのです。
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